大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所小倉支部 昭和56年(ワ)59号 判決 1983年1月13日

反訴原告

遠藤節子

右法定代理人親権者父

遠藤廣芝

同母

遠藤敏子

右訴訟代理人

塘岡琢磨

反訴被告

平野はつね

右訴訟代理人

中尾晴一

安部千春

田邊匡彦

三浦久

前野宗俊

住田定夫

吉田高幸

高木健康

配川寿好

臼井俊紀

主文

一  反訴原告の請求を棄却する。

二  反訴費用は反訴原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  反訴被告は反訴原告に対し、金五〇〇万円と、これに対する昭和五五年一二月二三日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  反訴費用は反訴被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 反訴被告は、看護婦、保健婦、助産婦の資格を有し、昭和二四年ころから「平野助産院」(以下「被告産院」という。)を開設、管理している。

(二) 反訴原告は、昭和五三年二月三日、被告産院において出生した。

2  助産契約の締結と事故の発生

助産所開設者兼助産婦である反訴被告は、昭和五三年二月三日反訴原告の母遠藤敏子(以下「母敏子」という。)との間において、同女を被告産院に入院させて分娩を介助等し、母子とも健全な出産を全うせしめる旨の助産契約(以下「本件助産契約」という。)を締結した上、同月八日まで同女と反訴原告を被告産院に入院せしめたが、その間反訴原告において緑膿菌感染症、右急性中耳炎、右急性外耳道炎に罹患し、且つその症状が増悪して右顔面が麻痺し、右耳の聴力が失われる事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

3  本件事故発生前後の経緯

(一) 反訴原告の母敏子は、昭和五二年九月一四日、被告産院を訪れ、妊娠六か月の診断を受けた。

(二) 母敏子は、既に被告産院において二子を儲けた経産婦であるが、昭和五三年二月三日、分娩のため被告産院に入院し、午前一一時七分、反訴被告と助産婦小山サチ子の介助のもとで、反訴原告を出産したが、右出産は正常であり、自然分娩であつた。

(三) 同年二月五日、母敏子は、反訴原告の右耳からうすい黄色い汁が少し出ているのに気付いたので、反訴被告にその旨質したところ、同人は「外耳炎でしよう。ガーゼを入れておきましょう。」と言つて、反訴原告の右耳にガーゼを入れる処置を施した。

(四) 同年二月七日午後六時ころ、反訴被告は、反訴原告の右耳に乳様の付着物があることを認めたが、単にこれを拭き取る以上の措置を執らず、更に体温も新生児の平均的体温と比較してやや高めの三七度五分あり、泣き声も少しぐずついているのを認めたが、格別の罹病を疑わずそのまま放置した。なお、同日、反訴被告は、血液検査のため、反訴原告を内田産婦人科へ連れていつた。

(五) 同年二月八日午前中、依然として反訴原告に発熱が認められたので、反訴被告は、診察のため、反訴原告を高尾小児科に連れていつたが、同小児科の診察の結果は発熱の原因は不明ということであり、耳鼻科の受診を指示されたので、その指示に従い木村耳鼻科において診察を受けた結果右中耳炎、外耳道炎、急性鼻炎の診断を受け、引続き通院するよう指示された。

同日午後六時ころになつても、反訴原告の熱は下がらないのみならず、逆に三八度にもなつたので、反訴被告は更に詳細又は正確な診察を求めて、反訴原告を国立中津病院へ連れていくこととした。

同日午後八時、国立中津病郎岩見晶臣医師が反訴原告を診察したところ、体温は三八ないし三九度、右の耳から膿が出ており、右腋窩と臀部に母指等大の化膿瘡がみられ、反訴原告は、そのまま国立中津病院に入院した。

(六) 同年二月一〇日反訴原告は、国立中津病院において緑膿菌感染症と診断され、午後九時三〇ccの輸血を受けた。

(七) 反訴原告は、以後、同年六月二日まで国立中津病院に入院し、次に九州大学医学部附属病院耳鼻科に同年六月六日から同年八月四日まで入院、同病院退院後現在まで月一回程度通院治療を受けている外、木村耳鼻科において、昭和五三年度は殆んど毎日、昭和五四年度は週三回、昭和五五年度は週二回の通院治療を受け、今日に至つている。

(八) しかし、反訴原告には依然として緑膿菌感染症に基づく顔面神経麻痺が残存し、精密検査は未了であるが、右耳の聴力が失われているようである。

4  反訴被告の責任

反訴被告は、本件助産契約の締結により、反訴原告に対し、(一)新生児の罹病を事前に予防すべき債務の外、(二)出生の経過と容態の推移に応じて時機を失しない転医指導措置を講ずべき債務を負担するに至つたものであるが、本件事故の発生は反訴被告の右各債務の不履行に基づくものである。即ち、(一)緑膿菌感染症は、緑膿菌が全身を回つて炎症を起す病気であるが、新生児にその発症例が多く、緑膿菌はどこにでも存在するものであるから、助産所の管理者である反訴被告としては、新生児が緑膿菌に感染しないよう、哺育器具、衣類等の消毒につとめるべき注意義務があるのにこれを怠り、反訴原告を緑膿菌感染症に罹患させたのみならず、(二)反訴原告は、出生後三日目の二月五日既に右耳から黄色い汁が出ており、発熱もあつたのであるから分娩の介助及びその後の新生児の哺育を担当する助産婦である反訴被告としては、単に外耳道炎の罹患を疑うのみならず、緑膿菌感染症に罹患した可能性を疑い、速やかに人的、物的設備の整つた病院の診察、治療を受けさせる注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然数日を徒過した結果、症状を増悪させたものであるから、反訴被告は債務不履行により次項の損害を賠償する義務がある。

5  損害

反訴原告は、本件事故により、長期間の入院、通院を余儀なくされ、右顔面麻痺及び右耳聴力喪失という重大な損害を被つた。右損害を慰謝するには、少なくとも金五〇〇万円を下ることはない。

6  よつて反訴原告は反訴被告に対し、右損害金五〇〇万円と、これに対する本件事故以後である昭和五五年一二月二三日から支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項の事実のうち、症状増悪と右顔面麻痺、右耳聴力喪失の点は不知、その余の事実は認める。

3  同3項(一)、(二)の事実は認める。

同項(三)の事実は否認。

同項(四)の事実は認める。但し、泣き声の点は除く。

血液検査は先天性代謝機能検査であり、体温三七度五分は異常に高熱というものではなく、反訴被告は反訴原告に水分を与え、翌日熱が下がつていなければ小児科に連れていくつもりであつた。

同項(五)について、高尾小児科では特に異常は見られず、耳から乳様のものが出ていたということで木村耳鼻科へ行くようにとの指示があり、木村耳鼻科では中耳炎、外耳炎という診断で、通院するよう指示されたので被告産院に反訴原告を連れて帰つた。午後六時、検温したところ、反訴原告の体温は三八度であつたため、直ちに国立中津病院に連れて行つた。国立中津病院では、岩見晶臣医師の診察を受け、入院することとなつた。その余の点は不知。

同項(六)のうち、反訴原告が緑膿菌感染症と診断されたことは認め、その余は不知。

同項(七)、(八)の事実は不知。

4  同四ないし6項は争う。

三  抗弁(帰責事由不存在)

反訴原告の緑膿菌感染症等の罹患とその症状増悪については、反訴被告になんらの帰責事由がない。けだし(一)反訴被告は、助産所の管理者として、医療法二〇条所定のとおりその清潔を保持し、衛生上安全な構造設備を保持するに欠けるところはなかつたものであるから反訴原告の緑膿菌感染症等の罹患について全く注意義務違反その他信義則上これと同視できる事情はないし、また(二)助産婦として、保健婦助産婦看護法三八条所定のとおり、臨機応変に新生児の保健指導ないし医師の診察を受けさせたものであつて、その間助産婦として執るべき措置になんら注意義務違反等は存しないのであるから、反訴被告において債務不履行による損害賠償義務を負担すべきいおれはない。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二助産契約の締結と本件事故の発生

助産所開設者兼助産婦である反訴被告が昭和五三年二月三日反訴原告の母敏子との間において、同女を被告産院に入院させてその分娩を介助等し、母子とも健全な出産を全うせしめる旨の本件助産契約を締結した上、同月八日まで同女と反訴原告を被告産院に入院させたこと及びその間反訴原告において緑膿菌感染症、右急性中耳炎、右急性外耳道炎に罹患したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、反訴原告の症状は緑膿菌感染症に罹患後、後記認定の国立中津病院に入院した昭和五三年二月八日過頃まで次第に増悪していつたこと及び反訴原告は同感染症のため右顔面の神経が麻痺したことが認められ、右認定に反する証拠はないが、本件全証拠によるも、反訴原告の右耳の聴力が喪われた事実を認めるべき証拠はない。

三本件事故発生前後の経緯等

前記一、二の事実、<証拠>を総合すれば、本件事故発生前後の経緯等として以下の事実を認めることができ<る。>

1  反訴原告の母敏子は、昭和五二年九月一四日、被告産院において、妊娠六か月の診断を受けた。(右事実は当事者間に争いがない。)

2  母敏子は既に被告産院で二子を儲けた経産婦であるが、昭和五三年二月三日、陣痛が始まり、午前一一時七分、被告産院において、反訴被告と助産婦小山サチ子の介助のもとで、反訴原告を出産した。右出産は正常であり、自然分娩であつた。(右事実は当時者間に争いがない。)

3  翌二月四日は、反訴原告に異常は認められなかつた。

4  翌二月五日、反訴原告の右耳からうすい黄色い汁や少し出ているのに気付いた母敏子は、その旨反訴被告に質したところ、同人は「外耳炎でしよう。ガーゼを入れておきましよう。」と答えた。

5  翌二月六日、反訴原告に異常は認められなかつた。

6  翌二月七日、反訴原告は内田産婦人科において血液検査(先天性代謝機能検査)を受けたが、午後六時ごろ、反訴被告は反訴原告の右耳に白い付着物があることを認めて、これを拭き取り、原訴原告の体温が三七度五分あつたため水分を補給し、様子如何では病院に連れて行く予定であつた。しかし泣き声が少しぐづついている外には右耳その他全身状態に格別の異常は認められなかつたため病院の診察を受けさせるまでには至らなかつた。(右事実中、血液検査、付着物及び体温の点は当事者間に争いがない。)

7  翌二月八日午前中、反訴被告は、前夜右耳に白い付着物があつたこと、体温がなお前日の三七度五分から下らないこと等から、反訴原告を高尾小児科において受診させたが、木村耳鼻科の診察を受けるよう指示された外、格別何らの診断結果も指示も与えられず、木村耳鼻科の受診の結果は、右急性外耳道炎、右急性中耳炎、急性鼻炎と診断され、当分通院するよう指示され、薬をもらつて帰つた。しかし、午後六時ころになつて、反訴原告の体温は三八度五分にもなつたので、反訴被告は、直ちに反訴原告を国立中津病院へ連れて行き、午後八時ころ同病院岩見晶臣医師の診察を受けさせた結果、体温が三八ないし三九度、右耳から膿が少し出ていること、全身に軽度の黄疸があり、右腋窩と臀部に母指等大の化膿瘡があること及び右顔面に神経麻痺が認められることから何らかの感染症であることが疑われたので、反訴原告はそのまま同病院に入院した。(反訴原告の発熱が続いたこと、高尾小児科、木村耳鼻科で受診したこと、木村耳鼻科で右外耳炎、右中耳炎と診断され、通院を指示されたこと、国立中津病院で受診、入院したことは当事者間に争いがない。)

8  翌二月九日、岩見医師は反訴原告に対し、二種類の抗生物質を併用して、静脈内注射と筋肉注射を行つたが、効果がなく、反訴原告の症状は前日より悪化して、右外耳道、右頬全体が腫脹した。

9  翌二月一〇日反訴原告の症状は、前日より更に増悪したが、同日夕刻に至り、化膿瘡から採取した検体から緑膿菌が発見されたことから、緑膿菌感染症に罹患していることが判明し、緑膿菌に効能のある抗生物質が投与され且つ輸血が行なわれた。その結果、反訴原告の発熱はおさまつたが、依然として化膿瘡が残存するため引続き一か月間前同様の抗生物質の投与が行なわれ、同年六月二日まで、国立中津病院に入院した。

10  反訴原告は、同病院退院後、右顔面神経麻痺、右外耳道閉鎖症、右慢性中耳炎の診断名により、九州大学医学部附属病院耳鼻科に同年六月六日から同年八月四日まで入院、退院後、昭和五三年度は二週間に一回、昭和五四年度は一か月に一回、昭和五五年度は当初二か月に一回、その後昭和五六年三月までは三か月に一回、その後は半年に一回通院し、木村耳鼻科には昭和五三年度は毎日、昭和五四年度は週二、三回、昭和五五年度は週二回、昭和五六年度は週一回、現在も通院治療を受けているが、右顔面神経麻痺の後遺症がある。

11  反訴被告は、昭和二三年から助産婦を開業し、同三六年以降被告産院を開設し、現在年間八〇ないし九〇件の分娩を取り扱つているが、未だかつて分娩介助に不祥事を経験したことなく、被告産院を平素清潔に保ち、衛生上安全な構造設備を保持してきた、のみならず反訴原告の身体に接触する哺育用器具類は全て十分に消毒されたものを使用し、おしめ衣類等は通例に従い母敏子が持参したものを使用しており、客観的には新生児がなんらかの病気に罹患するおそれは全くなかつた。

四感染及び経路について

三に認定したところによると、反訴原告は出生来同年二月七日まで被告産院外には出ておらず、後記認定のとおり、同月五日にはすでに右耳から黄色の汁が出ていたのであるから、被告産限内において出生時から二月五日までの間に緑膿菌感染症に罹患したものと思料すべきが相当であるところ、前掲証人岩見晶臣の証言によれば、緑膿菌感染症は、緑膿菌が全身を回つて炎症を起す病気であつて新生児に発症例が多く、その症状としては、中耳炎、外耳炎、腫瘍等悪性疾患を合併しやすい外、発熱、化膿瘡分泌液の滲出、緑膿菌の排出、顔面神経麻痺等であるが、緑膿菌の排出を除いては同感染症特有の症状とはいいがたいのみならず、顔面神経の麻痺症状の認定も新生児にあつては必ずしも容易ではないこと、緑膿菌は一般に自然界のどこにでも存在し、特に湿気のあるところに多いこと、本件においては羊水が濁つていなかつたことから母胎内での感染は考えられず、最も高い可能性としては、胎児が産道を通過する際の感染、次に分娩後哺育器具、衣類その他新生児の身体に接触する一切のものの消毒不充分等に基づく経口感染又は右外耳炎が吐乳等により先に発症したと仮定した場合は当該外耳炎の傷口からの感染等が考えられるが、発症の経緯に徴し、感染源及び経路が産道か外耳炎か助産院備付の哺育器具等であるかは全く確定不能な状況にあることが認められる。

五反訴被告の責任

(一) 反訴原告は先ず反訴被告において本件助産契約の締結により負担した新生児の罹病を事前に予防すべき債務を怠つたと主張するのに対し反訴被告は助産所の管理者としてその清潔を保持し、衛生上安全な構造設備の保持に欠けるところはなかつたから反訴原告の緑膿菌感染症の罹患につきなんらの過失はない旨抗争するので検討を加える。

助産所は、衛生行政上助産所が医療機関係施設として開設できる一般的要件として、清潔を保持するものとし、その構造設備は衛生上安全と認められるようなものでなければならない(医療法二〇条)が、助産所を開設管理し、産婦を入所させてその分娩を介助等し、もつて母子とも健全な出産を全うせしめる旨の助産契約を締結したものは、同法条の趣旨に従い、当該助産契約の一内容として、助産所を清潔に保ち衛生上安全な構造設備を保持することにより新生児の罹病を予防すべき具体的な注意義務を負担すると解すべきところ、これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、反訴被告は、反訴原告の身体に接触する哺育用器具類一切は十分に消毒したものを使用し、おしめ、衣類等は通例どおり母敏子が持参したものを使用しており、客観的には助産環境として新生児がなんらかの病気に罹患するおそれは全くない程に被告産院を清潔に保ち衛生上安全な構造設備を保持したというのであるから、緑膿菌の感染源及び経路が確定できない本件において、仮に感染源等が母体の産道でなく被告産院の構造設備にあるとしても、助産所の開設、管理者である反訴被告としては既に新生児の罹病予防について十分の注意義務を尽したというべきであつて、反訴原告の緑膿菌感染症罹患は洵に不幸な結果ではあるが、反訴被告にとつて、罹患それ自体はいわば不可抗力であり、帰責事由は不存在であるという外はない。この点の反訴被告の抗弁は理由がある。

(二)  次に反訴原告は、緑膿菌感染症の発症後における反訴被告の対応が時機を失したことを指摘し、助産婦としての適切な転医指導措置を講ずべき債務の不履行があつた旨強調するのに対し、反訴被告は同感染症発症の状況に照らしてなんらの注意義務違反はない旨抗弁するので考えてみる。

助産婦の業務内容は、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導をなすこと(保険婦助産婦看護婦法三条)であり、医師の指示なく医療行為をすることは、臨時応急の手当、助産婦の業務に当然附随する行為を除き、禁止されており(同法三七条)、新生児等に異常があると認めたときは、医師の診療を請わしめることを要し、自らこれらの者に対して、臨事応急の手当を除き、処置をすることはできない(同法三八条)。

しかして、産婦の分娩を介助等して母子とも健全な出産を全うせしめる旨の助産契約を締結した助産婦は、同法条の趣旨に則り、当該助産契約の一内容として、新生児の健康状態を留意観察するはもとより、平均的助産婦として疾病罹患のおそれ等なんらかの病的異常の存在を疑うに足る事情を認めた場合には直ちに医師の診療を受けるべく指導又は措置する具体的な注意義務を負担すると解すべきところ、これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、反訴被告は昭和五三年二月八日の午前中反訴原告を高尾小児科及び木村耳鼻科において受診させたが、その以前において、反訴原告の健康状態として異常と認められた点は(イ)二月五日右耳から少量の分泌液が滲出したこと(ロ)二月七日午後六時ころ右耳に白い付着物があつたこと(ハ)同時刻ころ泣き声が少しぐづついていたこと(ニ)二月七日午後六時ころから二月八日午前中にかけて三七度五分の発熱があつたことの四点であるが、そのいずれも平均的助産婦をしてなお疾病罹患のおそれ等なんらかの病的異常の存在を疑わしむべき充分な兆候とは到底認めがたいものである。加うるに、新生児における緑膿菌感染症の症状それ自体判定が容易でないことは前認定のとおりである上、二月八日高尾小児科及び木村耳鼻科の受診によつても右急性外耳道炎等以外には緑膿菌感染症はもとよりなんらの診断も下されず、同日三八度五分の発熱により国立中津病院に入院治療後、二月一〇日に至り化膿瘡からの検体検査の結果漸く同感染症の発症が判明したという経緯に徴すれば、二月八日以前において反訴被告が反訴原告に病的異常を認めなかつたこの及び医師の診察を受けさせなかつた措置を捉えて過失ありと非難することは反訴被告に対し平均的助産婦以上に難きを強いる結果となつて不当である。却つて、前認定のような、反訴原告の症状の程度と変化、高尾小児科、木村耳鼻科及び国立中津病院の受診、入院等の経緯に照らせば、反訴被告の反訴原告に対する観察及び医師受診の措置は、平均的助産婦として、洵に時宜を得た適切且つ妥当なものであつて、その間新生児の罹病に対する対応において時機を失した落度はなく、なんらの注意義務違反は存在しないことが充分認められる。

この点の反訴原告の主張は失当であり、反訴被告の抗弁は理由がある。

六してみれば、反訴原告の請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、反訴費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(鍋山健 渡邉安一 渡邉了造)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例